イベントレポート
1月28日に、国立西洋美術館との共催で、映画と絵画の双方からデンマークの近代美術を代表するスケーエン派に親しむイベントを開催。『マリー・クロヤー 愛と芸術に生きて』の特別試写会と国立西洋美術館 副館長 村上博哉氏によるスケーエン派絵画の講演会を行いました。
日本・デンマーク外交樹立150周年を記念し、トーキョーノーザンライツフェスティバルではデンマークの名匠ビレ・アウグスト監督がスケーエン派の女流画家マリー・クロヤーの半生を描いた『マリー・クロヤー 愛と芸術に生きて』を上映。また、国立西洋美術館では「スケーエン:デンマークの芸術家村」展(2月10日~5月28日)が開催されています。
2月10日から始まる「スケ―エン デンマークの芸術家村」展では、1928年に設立されたスケ―エン美術館から59点の作品がやってきます。
スケ―エンは、西に黒海、東にバルト海、ふたつの海がぶつかりあい常に荒れていて、ここに来ると世界の果てに立っているような感じのする場所です。アンデルセンはスケ―エン滞在中に「画家であるならここに来なさい。ここには描くべき多くのモティーフがあり作詞のための風景がある。」と書き残しています。
1870年代半ばの印象派が生まれた時代から、この辺境に北欧中から芸術家たちが集まってきました。デンマークには珍しい長く伸びた砂浜の風景が画家たちを惹きつけた他に、スケ―エンが芸術家村として有名になったのは、地元出身のアンナ・ブロンデゥムが画家ミカエル・アンカーと結婚し、実家のホテルを芸術家たちの拠点として開放したことが大きいとされています。女性が画家になる道が閉ざされていた時代にアンナ・アンカーが画家として生きることができたのは、彼女の出産時にアンデルセンが滞在していたことで母親が娘の運命を特別なことだと信じ、娘の生き方を後押ししたからだそうです。
月に1度は船が難破するという海に面したスケ―エンでは、漁師たちは難破した船を助けるレスキュー隊の役割も果たしていました。自らの命を危険にさらす漁師たちを描いたミカエル・アンカーの絵が当時コペンハーゲンの美術界で高く評価されたのは、そこに神話的なヒーロ―像やデンマーク人の海の民としてのルーツを感じさせるものがあったからでしょう。
映画『マリー・クロヤー 愛と芸術に生きて』のマリーもこのスケ―エン派の一人で、ちょうど150年前の1967年に生まれた実在した芸術家です。残した作品からは彼女が優れた感覚を持った画家だったことがわかりますが、残された作品は少なく、結婚後はインテリアデザインを手掛けるようになりそちらの方で名を残しました。
しかし、なんといっても今回の展覧会の一番重要な画家は、マリーの夫であったペーダー・セヴェリン・クロヤーです。彼はスケ―エンの代表的な画家で、当時デンマークだけでなくドイツやフランスでも知られている大変人気のある画家でした。彼が印象派の大胆な筆遣いやスナップショットのように空間を切り取る手法をデンマーク絵画にもたらしたことで、デンマーク絵画が大きく変わっていくことになります。
セヴェリン(38歳)とマリー(22歳)は1889年にパリで結婚し、その数年後から夏はスケ―エン、冬はコペンハーゲン、という生活に入ります。ふたりが暮らした家は今も保存され映画の中にも出てきます。結婚の記念に描かれ、マリーの両親にプレゼントされた作品「マリー・クロヤーの肖像」(1889)を見ると、マリー・クロヤーが実際にも大変美しい女性だったことがわかります。(この作品は、映画の中でも壁を飾っています)
そして、今回の展覧会のポスターにも使っている「ばら」(1893)は、結婚して最初の数年間借りていた農家の庭でデッキチェアに座っているマリーを描いたものです。絵には足もとにうずくまっている犬とバラの木が描かれクロヤーはいませんが、実際にはこの絵と同じ構図でクロヤーがマリーの横に並んで座っている写真が残っています。こうした、印象派というよりむしろ外光派のスタイルを吸収した作品によってクロヤーは当時非常に高い評価を受けました。「ばら」は結婚4年目に描かれた絵で、この2年後に子供が生まれます。この絵が描かれた時期がふたりにとって最も幸福だった頃かもしれません。
この後、ふたりには波乱が訪れます。映画のネタバレになるのでここではお話しせずにおきましょう。
【1月28日 西洋美術館講堂】西洋美術館 村上博哉副館長(「スケーエン:デンマークの芸術家村」展担当)の解説より抜粋
日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念 「スケーエン:デンマークの芸術家村」展
会場:国立西洋美術館 新館展示室
会期:2017年2月10日(金)~2017年5月28日(日)